ミサ等の予定 2026/3/7~2026/4/19
| 月 | 日 | 曜 | 時刻 | 典礼・行事等 |
| 3 | 7 | 土 | 17:00 | 四旬節第3主日 |
| 8 | 日 | 10:00 | 四旬節第3主日 | |
| 14 | 土 | 17:00 | 四旬節第4主日 | |
| 15 | 日 | 10:00 | 四旬節第4主日 | |
| 21 | 土 | 17:00 | 四旬節第5主日 | |
| 22 | 日 | 10:00 | 四旬節第5主日 | |
| 28 | 土 | 17:00 | 受難の主日(枝の主日) | |
| 29 | 日 | 10:00 | 受難の主日(枝の主日) 全員清掃(聖堂・香部屋・信徒会館1F) | |
| 4 | 2 | 木 | 17:00 | 聖木曜日 聖なる油を受ける式/洗足式/聖体安置式 |
| 3 | 金 | 15:00 17:00 |
十字架の道行 聖金曜日(主の受難) 受難の祭儀 |
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| 4 | 土 | 18:00 | 復活徹夜祭 お祝い(パーティ) | |
| 5 | 日 | 11:00 | 復活の主日 お祝い(パーティ) | |
| 11 | 土 | 17:00 | 復活節第2主日(神のいつくしみの主日) | |
| 12 | 日 | 10:00 | 復活節第2主日(神のいつくしみの主日) 教会委員会 | |
| 18 | 土 | 17:00 | 復活節第3主日 | |
| 19 | 日 | 10:00 | 復活節第3主日 |
広報ほどがや 2026年3月号 巻頭言
温故知新
パウロ ハー ミン トゥ神父
流石に3月の声を聞きますと、急に周りが明るくなったような気がします。服装とともに心も少し軽くなり体が喜んでいるのが分かります。春は恐らく一番望まれる季節でしょう。芽生えの時、開花の時、日々の生活がしやすくなる時、この時を存分に楽しみましょう。とは言っても季節が行きつ戻りつする時でもあります。体調には十分気をつけましょう。
日本の国では雪の中から政治面での変化があり、新しい時代を感じさせられています。私は和暦、昭和に生まれましたが、平成を超え、令和の今を体験させて頂いています。62年と14日間続いた「根性・努力・我慢」の昭和時代は、人との繋がり、家族の絆が特徴だと思います。その後、時代の移り変わりと共に新しい価値観が産まれてきており、ワークライフバランスと言った言葉で表される社会になりつつあるようです。
基本的には、いつの時代も、過去の良いものを残し、大切なものを守りながら、新しい変化を逃げることなく時代にあったものを作り出していくことが必要です。大切なのは昭和や平成の善いものも残しながら、令和の新しさも受け入れること。変化を恐れず、適応できない伝統にこだわることなく、芯をもって前を向いて進むこと。正に「温故知新」という言葉を通して、今を生きている私たち一人ひとりに問いかけられているのです。
教会も、四旬節を通して、私たちの様々な関係性をよく見つめ直しながら、真の回心に導かれるように呼びかけています。主のご復活を新たな気持ちで、そして素直な心で迎えることは、信仰生活をより正しく、より強く生きることにもなるのです。3月は新しい教会運営組織の役員交代の時でもあります。これまで多くの先人が培ってきた良い遺産を守りながら新たなチャレンジをしていく時です。少しずつ新たなことに挑戦しつつ、何より多様性や共働という価値観が広まっている時代をしっかり意識して生きていきたいです。
「一本の木だけでは森は作れません」という諺の通り、この保土ヶ谷教会共同体は、一人ひとりの自覚と協力によって成り立っています。どんなに少子高齢社会の状況であっても、私たちは心を一つにして力を合わせ、更に「私は植え、アポロは注いだ、しかし、成長させてくださったのは神です。」(1コリント3:6-7)という一人ひとりの私たちの信仰を表す聖パウロの確信を通して「私たちは神のために力をあわせて働く者」(以上9節)なのです。
幸いなことに、私たちはシノドスを通して新しい経験をしてきました。「教会の生活における新たな歩みは、どれもが源泉への立ち帰りです」で始まるシノドス最終文書に記されているように「霊における会話を味わい、互いに耳を傾ける中で、私たちの間に主の現存を感じていました。聖霊をお与えになることによって、ご自分の民の間で、多様性の調和である一致へと駆り立て続けておられる方」の導きにすべてを委ねることが出来ますよう、心に深く留めていきましょう。
広報ほどがや 2026年2月号 巻頭言
急ピッチ
パウロ ハー ミン トゥ神父
早いもので、とても厳しい寒さの2月に入りました。その寒さに負けず早くも満開になった梅の木や蝋梅、また一所懸命に咲き始めた桜もあり、心がふっと緩みます。でもこの寒さとは比較にならないほど厳しく、更に住む所もなく、未だに戦争が終結する事も期待できないウクライナの人々に目を向けますと、心が痛み、自然に涙が出てしまいます。この気候変動によって、夏だけではなく冬の寒さ、特に大雪による影響は甚大で、不安が募ります。
最近のテレビニュースの中で選挙に関連して「急ピッチ」という言葉がよく聞かれるようになり、心に留まりました。昨年10月後半に発足したばかりの日本の内閣が急にサプライズ解散し、選挙の準備が大急ぎで行われる事になったようですが、寒い時期に雪の多い地域では選挙の準備も大変なようです。その言葉から私は教会の典礼も、今年の「灰の水曜日」が2月18日と例年より早いことに思い至りました。降誕節、つまり「受肉の神秘」を十分に味わう間もなく、四旬節を迎える事になってしまいそうです。私たちも選挙準備に劣らず、急ピッチで四旬節への準備をしなければなりません。
教会典礼における年間は他の季節ほど重要であると思わないかもしれませんが、それぞれの季節と同じで、この時こそ「受肉と復活」の神秘を深めて、ますます成長していく為の期間としなければならないと思います。教会典礼は毎年繰り返され、巡ってくる典礼暦の目的をはっきり持って流されてしまう事のないよう、心に留めて過ごしたいと思います。
この時期には、更に信徒総会も開かれ、特に役員改選については正に急ピッチで聖霊の導きに信頼しながら、新しい体制を整える大切な時です。高齢化、更に諸事情によって教会の役員を引き受けてくださる方はなかなか見つけ難い状況ですが、皆でしっかり考えていきましょう。
「私たちは得るもので生計を立てますが、与えるもので人生を作ります。」という言葉を通して、これまでと同じように共同体の為に、時間や自分の人生をさえ捧げてくださる事が出来ますように。「私がここにおります。私を遣わしてください。」(イサヤ6:8b)というイサヤ預言者のように、自ら積極的に働いてくだされば嬉しく有難いです。このイサヤの言葉はこの共同体の一人ひとりの言葉でもあり、良い知らせの福音のメッセージによる生き方でもあります。
自分の限界、まして責任の重みなどを思いますと、恐らく誰でもためらってしまう事と思いますが「私は神の為に働く事をキリスト・イエスによって誇りに思っています。キリストが私を通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。」(ローマ15:17—18a)という聖パウロの強い確信があれば、恐れる事なく共同体の為、共に働く勇気が湧いてくるでしょう。「闇は闇を追い払う事は出来ません。光だけがそれをする事が出来ます。憎しみは憎しみを追い払う事は出来ません。愛だけがそれをする事が出来ます。」という言葉を通して正に愛、更にイエスの愛をもって一人ではなく皆で、私たちの共同体を作り上げていく為に力を出し合い、共に働きましょう。
広報ほどがや 2026年1月号 巻頭言
一文字に込められた計画
パウロ ハー ミン トゥ神父
晴々としたよいお天気に包まれる中で、皆、良い新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
前進する馬のように活力や幸運が駆け込んでくると言われる午年は、ただ良い新年を迎える、というだけではなく通常聖年の一年に頂いた恵みを、遣わされる私たちは更に生きる希望をもっと広めていきたいと思います。私は心から、この意味を込めたご挨拶を送らせて頂きます。皆様、新年おめでとうございます。
皆さんもご存知の通り、昨年12月12 日の「漢字の日」の午後2時に京都の清水寺で発表された「今年(巳年)の一文字」が「熊」と知って、私は「エッ!」と驚いてしまいました。皆さんはそう思いませんでしたか?例年とは雰囲気の異なる漢字だなと思ったのです。恐らく日本各地の熊の被害や不安が多くの人々の印象に強く残っているでしょうが、選ばれる一文字は単に終わった一年を表すためだけではないと、私は思います。むしろ、この一文字はこれから来る新しい一年に繋がっていくものであってほしいのです。
私にとって、一文字を見るだけで連想し豊かな意味を深く読み解けることが非常に不思議で、感慨深く美しいことなのです。
一人ひとりの皆、また家族にとってもそれぞれ過ごされた一年を表す一文字は何でしょう。私個人でしたら「遣」という一文字を選びたいです。「遣」という文字は受け身のイメージが大きいのですが、検索してみると「神聖な存在から使命を与えられて送り出される、という尊い恵みや力が授けられる」つまり特別に選ばれて送り出されるという意味合いだそうですので「送り出す人」の代わりをする、信頼されているという意味が強く感じられます。「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」(ヨハネ20:21)
イエスの弟子は遣わされた者であり、イエスに遣わされた者である私たちもどれほどイエスに信頼され、委ねられているか、という事です。特に、昨年の通常聖年において、私たちは「希望の巡礼者」でした。希望は前進し、また巡礼者は立ち止まるのではなく、何より前を向いてたゆまず行くのです。キリスト者は「遣わされて前を向いていく」という「希望を持って生きる」ことを忘れないでほしい。言い換えると、希望の聖年の行事は終わりましたが、希望の炎は永遠に残り、この希望を生かしながら、更に広めたいと出かけていく、という事が私たちの使命でもあります。そこで、私は「遣」という一文字を選びますが、保土ヶ谷教会共同体の方向性のビジョンとしても「遣わされる」のです。正に、故教皇フランシスコは【福音の喜び】の中で「自己中心的な快適に留まる教会ではなく、傷つき、汚れ、路上に生きる野戦病院のような開かれた教会を求めている」と、教会つまり私たちの使命と将来の方向性に関するビジョンを反映したのです。この一文字を皆さんにも心に留めて頂きたいのです。聖書に目を通していると、この一文字が度々出てきます。特に「父よ、…彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世はあなたが私をお遣わしになった事を信じるようになります。」(ヨハネ17:21)というイエスの切なる祈りを通して、洗礼を受けた恵みを思い起こしながら、教会生活の中で「耳を傾け、対話し、多様性の中での一致を目指す」事が求められている事を心に留めましょう。
広報ほどがや 2025年12月号 巻頭言
物価高から見つけよう!
パウロ ハー ミン トゥ神父
今年は、この地域に台風が少なかったせいか、春に見事に咲き誇った桜の葉っぱや蔦が今年はとても美しく紅葉し、その落ち葉が一年の最後を彩っています。秋の楽しみをゆっくり味わうことが出来ずに、雪が積もった地域もあります。冬の寒さの深まりと共に、2025年における最後の月を迎えましたが、私たちは静かな祈りと密やかな犠牲によって喜びと希望のうちに、教会の新しい典礼暦・A年になりました。
今年はこの一年間に「新語・流行語」としてノミネートされた10語から「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という日本初の女性の首相の言葉が大賞に選ばれました。この発表について、大勢の人は興味深く感じているのではないでしょうか。
因みに、なるほどと思う言葉がたくさんノミネートされている中で、私は掲題の「物価高」推しです。言うまでもありませんが、物価上昇は世界的なレベルでのパンデミックや長年の不条理な戦争や天候異変や円高など、多くの要因が複雑に絡み合って起きるのです。最近、私たちの口からついつい出てしまう程、何年も上昇傾向が続いた上に一層の物価高で、私たちの生活は日々ますます大変になっています。月が変わるのが怖いほどです。元々日本は豊かで気候も温暖、治安もよく、生活水準も高く住み心地の良い国として諸外国からの出稼ぎ労働者が多いところでしたが、日本人自身にとっても次第に物価高が大きな問題になってきています。だから「私にできて、あなたには出来ないこともあり、あなたにできて、私には出来ないこともあります。だから、共に力を合わせれば、素晴らしいことが出来る」とマザー聖テレサの名言を通して、力を合わせれば、一つ一つ大変を乗り越えることが出来るのでしょう。
勿論、私たちキリスト者の一番の希望は「物価安」かつ「質の良い生活」ですが、その希望と共に教会の質も高くあってもらいたいと思います。何より私たち自身が質の良いキリスト者として信仰生活の質も良いものとしていかないと誰も魅力を感じないでしょう。昭和53年頃から日本人は、目に見える「物の豊かさ・高さ」だけでなく、目に見えない「心の豊かさ・高さ」が持続的な幸福につながるという精神的な生き方によって、正に質の良い生活を求めているのです。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし…」(ローマ12:15)というパウロの教えを実行しなければ、私たちは「この世の最大の不幸は貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じること」になるのです。
花が美しく咲き乱れているところにたくさんの蜂が自然に集ってくるように、私たちの教会も多くの人が関心を持って自然に集まってくるよう、どのように信仰を生きるか、どのようなサービスが喜ばれるのか、考えてみましょう。
私たち誰もが、日々に心が喜びと平和に満たされるため、心を開いて「大きな喜びを告げる。今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2:10—11)という希望の福音として天使のメッセージを受け取りましょう。
主のご降誕の慶びを申し上げます。おめでとうございます。
広報ほどがや 2025年11月号 巻頭言
振り返る恵み
パウロ ハー ミン トゥ神父
厳しい暑さの夏を過ごした私たちが楽しみに待ち望んでいた秋が一足飛びに過ぎ去り、すでに冬が訪れたかのようです。残念にも思いますが、これを良い機会として、私たちは自然界に対しての責任をしっかり振り返りたいと思います。振り返ることが出来るのは人間だけです。正に振り返る事が恵みです。
日本の社会の営みの中でも、新しい政治家への期待や不安があり、特に物価高や一層苦しくなる日々の生活があります。一方で、私たちは無駄遣いや贅沢をしていないかも反省してみなければならないでしょう。日常生活を見直し、特に人と分かち合う事によって、周りの人々の苦しみや大変な時を共に乗り越えていくことが出来ればどれ程救われることでしょう。
教会典礼においても、間も無く一年の締めくくりの時となりますが「死者の月」と定められている11月は、命の大切さを心に留めながら、将来の自分のことも考えさせられる時です。死者のために祈るとは復活の信仰において「死者が罪から解かれるよう彼らのために償いの生け贄を捧げた」(2マカバイ12:43—45)という大昔からの習慣を受け継いで、神のみ許に召された方々が永遠の安息に与れるよう祈ると同時に、今の私たち自身がより良い収穫を得る為に、心から信仰生活を省みる時でもあるのです。
美しい自然も実りの時・収穫の時を迎えています。収穫は過去に蒔かれた種から今現在へ、そして未来へも繋がる実りです。この収穫の時こそ、亡くなった人は忘れられたのではなく、生きている私たちの一部であり、私たちが今を生きることが出来るのは、その人たちのお陰であることを心に留めたいと思います。何より、すべての死者のことを思い巡らしながら、復活への信仰を新たにしましょう。
「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導きだしてくださいます。」(1テサロニケ4:14)というパウロの確信は私たちの信仰を表すものです。だから、収穫の時、死者のために祈り、一つの麦のように、死んでも、それを命の終わりと恐れるのではなく、むしろ新しい命が生まれて来ることと固く信じ、過去と今と未来はすべて繋がっていることを再確認するのです。つまり、私たちがいつか永遠の安息に与ることを確信出来ることが私たちの真の希望であり、目に見える収穫なのです。何故なら「希望は、それを求める気の毒な人を決して見捨てはしない。」からです。
私たちは世の終わりである死を通して「死の神秘」を味わうことへと招かれています。どんな時より、落ち着いた静かな雰囲気の11月に亡くなった方々のために、心を込めてたくさん祈りましょう。そして、その祈りの中で、更に私たちの人生の最期の時のことを少しずつ準備していきましょう。そして、間もなく希望の巡礼者としての聖年が終わりますが、この時を25年毎の恵みのあるチャンスとして大切にし、新しい典礼暦年の収穫に向けて、どんなことがあっても希望を持って振り返り、やり直すことが出来ますよう、感謝と祈りのうちにしっかり生きていきましょう。
広報ほどがや 2025年10月号 巻頭言
広報紙「ほどがや」10月号の発刊にあたり
保土ヶ谷教会 教会委員長 洪 信夫
2025年聖年の年もいよいよ佳境に入って参りました。「ゆるし」という事が大きなテーマと捉えられます聖年には、免償によって自らが神からのゆるしを得ると同時に、自ら人をゆるすという事も重要な意味を持つのではないかと思います。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」と唱える主の祈りがあります。人はそれぞれ違った考え方をするもので、「十人十色」という言葉がありますが、多様性を尊ぶ互いの考え方にまず耳を傾けその違いの理解を認め合うところから「ゆるし」が始まるのではないでしょうか。そこから自らも悔い改め「イエスキリストといっしょに巡礼の歩みをつづけること」により永遠のいのちに繋がる希望を見ることが出来るのではと考える今日この頃です。「希望の巡礼者」としての2025年聖年の年、締めくくりに向かう日々を大切に過ごして行ければと思います。
さて、この度、一度小休止をしておりました広報紙「ほどがや」を再開する運びとなりました。今まで様々なご事情を抱えながらも精力的に活動いただきました広報委員会のスタッフの皆さま、誠にありがとうございます。今後は、保土ヶ谷教会の活動予定や向かう方向性がよりタイムリーに信徒の皆さまにお伝え出来るように、年3回の発行から原則毎月発行へとリニューアルすることとなりました。今後とも新たなチャレンジの広報紙「ほどがや」をよろしくお願い申し上げます。
「神よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知をお与えください。」(ラインホルド・ニーバー)との祈りがあります。共に歩む保土ヶ谷教会共同体の未来が希望に満ちたものとなりますように、私たち教会共同体の保護聖人である聖母マリアの祈りを捧げながら、今月ロザリオ月の広報紙「ほどがや」10月号をお届けさせていただきます。
2026 聖週間の予定
主任司祭からのご挨拶
~坂の上の心癒される保土ヶ谷教会に来て見ませんか~
カトリック保土ヶ谷教会 主任司祭のパウロ ハー・ミン・トゥ神父です。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、私たちが生きている今はグローバル化の著しい世界です。その中で、世界は小さく近く感じられ、無いものはないといわれるほど様々なものが溢れているのではないでしょうか。しかし、本当に向うべき場所は遠くなり、今必要なものは足りなくなっているのです。このことについては、1965年に行われた第2バチカン公会議「公文書全集」の「現代世界憲章」第4項に「人類がこれほどの富と可能性と経済力に恵まれたことは、けっしてなかったが、他方では、今もなお地球上の住民の膨大な部分が飢えと欠乏に苦しめられ、無数の人が読み書きを知らない…世界が一つに結ばれていることと、各自が必然的連帯性に基づいて相互に従属関係にあることについては強く感じているが、他方、世界は相戦う力の対立によって引きさかれている」と既に記されています。
今を生きている私たちは、様々なプレッシャーとストレスにさらされています。更にそれらが解消されることはなく溜まっていくばかりでしょう。経済不況や社会不安によって日々の生活はますます厳しくなり、生きるために競争を強いられて、一所懸命生きていても将来の方向性も見えない状況です。自然災害の脅威は世界中にあり、その上、現在はコロナウイルスという想定外のものにも悩まされ続けています。心が不安で一杯になり、平安を程遠く感じている方も多いのではないでしょうか。
しかし、私たちはやはり希望を持って前を向いて進んでいきたいと思っています。その為には自分を信じ、自分を造ってくださった神を信じて生きていきましょう。「信じる」ことは生きる大前提として求められます。その思いを一層強めていかないと、様々なことに押しつぶされてしまうのではないでしょうか。
私たちは今、様々な形で飢え渇いています。情報は溢れるほどたくさんありますが、飢え渇いているあなたは何を信じますか。また、行くところはたくさんありますが、飢え渇いているあなたは、どこに行きますか。勿論様々な解決法があるでしょう。しかし、残念なことに、この世的なもので解決しようとするなら、一時的にしか癒してもらえません。つまり、解決できたように思えても、根本的な解決ではないのです。
ヨハネ福音書には「私のもとに来るものは決して飢えることがなく、私を信じるものは決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)というイエスの言葉が記されています。「信じること」と「来ること」は別々のものではなく、一つの同じことを意味しています。「信じること」は「イエスのところに来ること」です。情報が溢れる中で、折角「私のもとに来るものは」とイエスから呼びかけられているのですから「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)という言葉を信じてみませんか。よろしかったら、また教会のサイトを覗いてみてください。そして、坂の上の心癒される保土ヶ谷教会に来て、ちょっと入ってみませんか。喜んでお待ちしております。

