広報ほどがや 2026年2月号 巻頭言

急ピッチ

パウロ ハー ミン トゥ神父

早いもので、とても厳しい寒さの2月に入りました。その寒さに負けず早くも満開になった梅の木や蝋梅、また一所懸命に咲き始めた桜もあり、心がふっと緩みます。でもこの寒さとは比較にならないほど厳しく、更に住む所もなく、未だに戦争が終結する事も期待できないウクライナの人々に目を向けますと、心が痛み、自然に涙が出てしまいます。この気候変動によって、夏だけではなく冬の寒さ、特に大雪による影響は甚大で、不安が募ります。
最近のテレビニュースの中で選挙に関連して「急ピッチ」という言葉がよく聞かれるようになり、心に留まりました。昨年10月後半に発足したばかりの日本の内閣が急にサプライズ解散し、選挙の準備が大急ぎで行われる事になったようですが、寒い時期に雪の多い地域では選挙の準備も大変なようです。その言葉から私は教会の典礼も、今年の「灰の水曜日」が2月18日と例年より早いことに思い至りました。降誕節、つまり「受肉の神秘」を十分に味わう間もなく、四旬節を迎える事になってしまいそうです。私たちも選挙準備に劣らず、急ピッチで四旬節への準備をしなければなりません。
教会典礼における年間は他の季節ほど重要であると思わないかもしれませんが、それぞれの季節と同じで、この時こそ「受肉と復活」の神秘を深めて、ますます成長していく為の期間としなければならないと思います。教会典礼は毎年繰り返され、巡ってくる典礼暦の目的をはっきり持って流されてしまう事のないよう、心に留めて過ごしたいと思います。
この時期には、更に信徒総会も開かれ、特に役員改選については正に急ピッチで聖霊の導きに信頼しながら、新しい体制を整える大切な時です。高齢化、更に諸事情によって教会の役員を引き受けてくださる方はなかなか見つけ難い状況ですが、皆でしっかり考えていきましょう。
「私たちは得るもので生計を立てますが、与えるもので人生を作ります。」という言葉を通して、これまでと同じように共同体の為に、時間や自分の人生をさえ捧げてくださる事が出来ますように。「私がここにおります。私を遣わしてください。」(イサヤ6:8b)というイサヤ預言者のように、自ら積極的に働いてくだされば嬉しく有難いです。このイサヤの言葉はこの共同体の一人ひとりの言葉でもあり、良い知らせの福音のメッセージによる生き方でもあります。
自分の限界、まして責任の重みなどを思いますと、恐らく誰でもためらってしまう事と思いますが「私は神の為に働く事をキリスト・イエスによって誇りに思っています。キリストが私を通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。」(ローマ15:17—18a)という聖パウロの強い確信があれば、恐れる事なく共同体の為、共に働く勇気が湧いてくるでしょう。「闇は闇を追い払う事は出来ません。光だけがそれをする事が出来ます。憎しみは憎しみを追い払う事は出来ません。愛だけがそれをする事が出来ます。」という言葉を通して正に愛、更にイエスの愛をもって一人ではなく皆で、私たちの共同体を作り上げていく為に力を出し合い、共に働きましょう。

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎

広報ほどがや 2026年1月号 巻頭言

一文字に込められた計画

パウロ ハー ミン トゥ神父

晴々としたよいお天気に包まれる中で、皆、良い新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
前進する馬のように活力や幸運が駆け込んでくると言われる午年は、ただ良い新年を迎える、というだけではなく通常聖年の一年に頂いた恵みを、遣わされる私たちは更に生きる希望をもっと広めていきたいと思います。私は心から、この意味を込めたご挨拶を送らせて頂きます。皆様、新年おめでとうございます。
皆さんもご存知の通り、昨年12月12 日の「漢字の日」の午後2時に京都の清水寺で発表された「今年(巳年)の一文字」が「熊」と知って、私は「エッ!」と驚いてしまいました。皆さんはそう思いませんでしたか?例年とは雰囲気の異なる漢字だなと思ったのです。恐らく日本各地の熊の被害や不安が多くの人々の印象に強く残っているでしょうが、選ばれる一文字は単に終わった一年を表すためだけではないと、私は思います。むしろ、この一文字はこれから来る新しい一年に繋がっていくものであってほしいのです。
私にとって、一文字を見るだけで連想し豊かな意味を深く読み解けることが非常に不思議で、感慨深く美しいことなのです。
一人ひとりの皆、また家族にとってもそれぞれ過ごされた一年を表す一文字は何でしょう。私個人でしたら「遣」という一文字を選びたいです。「遣」という文字は受け身のイメージが大きいのですが、検索してみると「神聖な存在から使命を与えられて送り出される、という尊い恵みや力が授けられる」つまり特別に選ばれて送り出されるという意味合いだそうですので「送り出す人」の代わりをする、信頼されているという意味が強く感じられます。「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」(ヨハネ20:21)
イエスの弟子は遣わされた者であり、イエスに遣わされた者である私たちもどれほどイエスに信頼され、委ねられているか、という事です。特に、昨年の通常聖年において、私たちは「希望の巡礼者」でした。希望は前進し、また巡礼者は立ち止まるのではなく、何より前を向いてたゆまず行くのです。キリスト者は「遣わされて前を向いていく」という「希望を持って生きる」ことを忘れないでほしい。言い換えると、希望の聖年の行事は終わりましたが、希望の炎は永遠に残り、この希望を生かしながら、更に広めたいと出かけていく、という事が私たちの使命でもあります。そこで、私は「遣」という一文字を選びますが、保土ヶ谷教会共同体の方向性のビジョンとしても「遣わされる」のです。正に、故教皇フランシスコは【福音の喜び】の中で「自己中心的な快適に留まる教会ではなく、傷つき、汚れ、路上に生きる野戦病院のような開かれた教会を求めている」と、教会つまり私たちの使命と将来の方向性に関するビジョンを反映したのです。この一文字を皆さんにも心に留めて頂きたいのです。聖書に目を通していると、この一文字が度々出てきます。特に「父よ、…彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世はあなたが私をお遣わしになった事を信じるようになります。」(ヨハネ17:21)というイエスの切なる祈りを通して、洗礼を受けた恵みを思い起こしながら、教会生活の中で「耳を傾け、対話し、多様性の中での一致を目指す」事が求められている事を心に留めましょう。

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎

広報ほどがや 2025年12月号 巻頭言

物価高から見つけよう!

パウロ ハー ミン トゥ神父

今年は、この地域に台風が少なかったせいか、春に見事に咲き誇った桜の葉っぱや蔦が今年はとても美しく紅葉し、その落ち葉が一年の最後を彩っています。秋の楽しみをゆっくり味わうことが出来ずに、雪が積もった地域もあります。冬の寒さの深まりと共に、2025年における最後の月を迎えましたが、私たちは静かな祈りと密やかな犠牲によって喜びと希望のうちに、教会の新しい典礼暦・A年になりました。
今年はこの一年間に「新語・流行語」としてノミネートされた10語から「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という日本初の女性の首相の言葉が大賞に選ばれました。この発表について、大勢の人は興味深く感じているのではないでしょうか。
因みに、なるほどと思う言葉がたくさんノミネートされている中で、私は掲題の「物価高」推しです。言うまでもありませんが、物価上昇は世界的なレベルでのパンデミックや長年の不条理な戦争や天候異変や円高など、多くの要因が複雑に絡み合って起きるのです。最近、私たちの口からついつい出てしまう程、何年も上昇傾向が続いた上に一層の物価高で、私たちの生活は日々ますます大変になっています。月が変わるのが怖いほどです。元々日本は豊かで気候も温暖、治安もよく、生活水準も高く住み心地の良い国として諸外国からの出稼ぎ労働者が多いところでしたが、日本人自身にとっても次第に物価高が大きな問題になってきています。だから「私にできて、あなたには出来ないこともあり、あなたにできて、私には出来ないこともあります。だから、共に力を合わせれば、素晴らしいことが出来る」とマザー聖テレサの名言を通して、力を合わせれば、一つ一つ大変を乗り越えることが出来るのでしょう。
勿論、私たちキリスト者の一番の希望は「物価安」かつ「質の良い生活」ですが、その希望と共に教会の質も高くあってもらいたいと思います。何より私たち自身が質の良いキリスト者として信仰生活の質も良いものとしていかないと誰も魅力を感じないでしょう。昭和53年頃から日本人は、目に見える「物の豊かさ・高さ」だけでなく、目に見えない「心の豊かさ・高さ」が持続的な幸福につながるという精神的な生き方によって、正に質の良い生活を求めているのです。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし…」(ローマ12:15)というパウロの教えを実行しなければ、私たちは「この世の最大の不幸は貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じること」になるのです。
花が美しく咲き乱れているところにたくさんの蜂が自然に集ってくるように、私たちの教会も多くの人が関心を持って自然に集まってくるよう、どのように信仰を生きるか、どのようなサービスが喜ばれるのか、考えてみましょう。
私たち誰もが、日々に心が喜びと平和に満たされるため、心を開いて「大きな喜びを告げる。今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2:10—11)という希望の福音として天使のメッセージを受け取りましょう。
主のご降誕の慶びを申し上げます。おめでとうございます。

 

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎

広報ほどがや 2025年11月号 巻頭言

振り返る恵み

パウロ ハー ミン トゥ神父

厳しい暑さの夏を過ごした私たちが楽しみに待ち望んでいた秋が一足飛びに過ぎ去り、すでに冬が訪れたかのようです。残念にも思いますが、これを良い機会として、私たちは自然界に対しての責任をしっかり振り返りたいと思います。振り返ることが出来るのは人間だけです。正に振り返る事が恵みです。

日本の社会の営みの中でも、新しい政治家への期待や不安があり、特に物価高や一層苦しくなる日々の生活があります。一方で、私たちは無駄遣いや贅沢をしていないかも反省してみなければならないでしょう。日常生活を見直し、特に人と分かち合う事によって、周りの人々の苦しみや大変な時を共に乗り越えていくことが出来ればどれ程救われることでしょう。

教会典礼においても、間も無く一年の締めくくりの時となりますが「死者の月」と定められている11月は、命の大切さを心に留めながら、将来の自分のことも考えさせられる時です。死者のために祈るとは復活の信仰において「死者が罪から解かれるよう彼らのために償いの生け贄を捧げた」(2マカバイ12:43—45)という大昔からの習慣を受け継いで、神のみ許に召された方々が永遠の安息に与れるよう祈ると同時に、今の私たち自身がより良い収穫を得る為に、心から信仰生活を省みる時でもあるのです。

美しい自然も実りの時・収穫の時を迎えています。収穫は過去に蒔かれた種から今現在へ、そして未来へも繋がる実りです。この収穫の時こそ、亡くなった人は忘れられたのではなく、生きている私たちの一部であり、私たちが今を生きることが出来るのは、その人たちのお陰であることを心に留めたいと思います。何より、すべての死者のことを思い巡らしながら、復活への信仰を新たにしましょう。

「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導きだしてくださいます。」(1テサロニケ4:14)というパウロの確信は私たちの信仰を表すものです。だから、収穫の時、死者のために祈り、一つの麦のように、死んでも、それを命の終わりと恐れるのではなく、むしろ新しい命が生まれて来ることと固く信じ、過去と今と未来はすべて繋がっていることを再確認するのです。つまり、私たちがいつか永遠の安息に与ることを確信出来ることが私たちの真の希望であり、目に見える収穫なのです。何故なら「希望は、それを求める気の毒な人を決して見捨てはしない。」からです。

私たちは世の終わりである死を通して「死の神秘」を味わうことへと招かれています。どんな時より、落ち着いた静かな雰囲気の11月に亡くなった方々のために、心を込めてたくさん祈りましょう。そして、その祈りの中で、更に私たちの人生の最期の時のことを少しずつ準備していきましょう。そして、間もなく希望の巡礼者としての聖年が終わりますが、この時を25年毎の恵みのあるチャンスとして大切にし、新しい典礼暦年の収穫に向けて、どんなことがあっても希望を持って振り返り、やり直すことが出来ますよう、感謝と祈りのうちにしっかり生きていきましょう。

 

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎

広報ほどがや 2025年10月号 巻頭言

広報紙「ほどがや」10月号の発刊にあたり

保土ヶ谷教会 教会委員長  洪 信夫

2025年聖年の年もいよいよ佳境に入って参りました。「ゆるし」という事が大きなテーマと捉えられます聖年には、免償によって自らが神からのゆるしを得ると同時に、自ら人をゆるすという事も重要な意味を持つのではないかと思います。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」と唱える主の祈りがあります。人はそれぞれ違った考え方をするもので、「十人十色」という言葉がありますが、多様性を尊ぶ互いの考え方にまず耳を傾けその違いの理解を認め合うところから「ゆるし」が始まるのではないでしょうか。そこから自らも悔い改め「イエスキリストといっしょに巡礼の歩みをつづけること」により永遠のいのちに繋がる希望を見ることが出来るのではと考える今日この頃です。「希望の巡礼者」としての2025年聖年の年、締めくくりに向かう日々を大切に過ごして行ければと思います。
さて、この度、一度小休止をしておりました広報紙「ほどがや」を再開する運びとなりました。今まで様々なご事情を抱えながらも精力的に活動いただきました広報委員会のスタッフの皆さま、誠にありがとうございます。今後は、保土ヶ谷教会の活動予定や向かう方向性がよりタイムリーに信徒の皆さまにお伝え出来るように、年3回の発行から原則毎月発行へとリニューアルすることとなりました。今後とも新たなチャレンジの広報紙「ほどがや」をよろしくお願い申し上げます。
「神よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知をお与えください。」(ラインホルド・ニーバー)との祈りがあります。共に歩む保土ヶ谷教会共同体の未来が希望に満ちたものとなりますように、私たち教会共同体の保護聖人である聖母マリアの祈りを捧げながら、今月ロザリオ月の広報紙「ほどがや」10月号をお届けさせていただきます。

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎