広報ほどがや 2025年11月号 巻頭言

振り返る恵み

パウロ ハー ミン トゥ神父

厳しい暑さの夏を過ごした私たちが楽しみに待ち望んでいた秋が一足飛びに過ぎ去り、すでに冬が訪れたかのようです。残念にも思いますが、これを良い機会として、私たちは自然界に対しての責任をしっかり振り返りたいと思います。振り返ることが出来るのは人間だけです。正に振り返る事が恵みです。

日本の社会の営みの中でも、新しい政治家への期待や不安があり、特に物価高や一層苦しくなる日々の生活があります。一方で、私たちは無駄遣いや贅沢をしていないかも反省してみなければならないでしょう。日常生活を見直し、特に人と分かち合う事によって、周りの人々の苦しみや大変な時を共に乗り越えていくことが出来ればどれ程救われることでしょう。

教会典礼においても、間も無く一年の締めくくりの時となりますが「死者の月」と定められている11月は、命の大切さを心に留めながら、将来の自分のことも考えさせられる時です。死者のために祈るとは復活の信仰において「死者が罪から解かれるよう彼らのために償いの生け贄を捧げた」(2マカバイ12:43—45)という大昔からの習慣を受け継いで、神のみ許に召された方々が永遠の安息に与れるよう祈ると同時に、今の私たち自身がより良い収穫を得る為に、心から信仰生活を省みる時でもあるのです。

美しい自然も実りの時・収穫の時を迎えています。収穫は過去に蒔かれた種から今現在へ、そして未来へも繋がる実りです。この収穫の時こそ、亡くなった人は忘れられたのではなく、生きている私たちの一部であり、私たちが今を生きることが出来るのは、その人たちのお陰であることを心に留めたいと思います。何より、すべての死者のことを思い巡らしながら、復活への信仰を新たにしましょう。

「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導きだしてくださいます。」(1テサロニケ4:14)というパウロの確信は私たちの信仰を表すものです。だから、収穫の時、死者のために祈り、一つの麦のように、死んでも、それを命の終わりと恐れるのではなく、むしろ新しい命が生まれて来ることと固く信じ、過去と今と未来はすべて繋がっていることを再確認するのです。つまり、私たちがいつか永遠の安息に与ることを確信出来ることが私たちの真の希望であり、目に見える収穫なのです。何故なら「希望は、それを求める気の毒な人を決して見捨てはしない。」からです。

私たちは世の終わりである死を通して「死の神秘」を味わうことへと招かれています。どんな時より、落ち着いた静かな雰囲気の11月に亡くなった方々のために、心を込めてたくさん祈りましょう。そして、その祈りの中で、更に私たちの人生の最期の時のことを少しずつ準備していきましょう。そして、間もなく希望の巡礼者としての聖年が終わりますが、この時を25年毎の恵みのあるチャンスとして大切にし、新しい典礼暦年の収穫に向けて、どんなことがあっても希望を持って振り返り、やり直すことが出来ますよう、感謝と祈りのうちにしっかり生きていきましょう。

 

2026年2月6日 | カテゴリー : 巻頭言 | 投稿者 : 岩崎