一文字に込められた計画
パウロ ハー ミン トゥ神父
晴々としたよいお天気に包まれる中で、皆、良い新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
前進する馬のように活力や幸運が駆け込んでくると言われる午年は、ただ良い新年を迎える、というだけではなく通常聖年の一年に頂いた恵みを、遣わされる私たちは更に生きる希望をもっと広めていきたいと思います。私は心から、この意味を込めたご挨拶を送らせて頂きます。皆様、新年おめでとうございます。
皆さんもご存知の通り、昨年12月12 日の「漢字の日」の午後2時に京都の清水寺で発表された「今年(巳年)の一文字」が「熊」と知って、私は「エッ!」と驚いてしまいました。皆さんはそう思いませんでしたか?例年とは雰囲気の異なる漢字だなと思ったのです。恐らく日本各地の熊の被害や不安が多くの人々の印象に強く残っているでしょうが、選ばれる一文字は単に終わった一年を表すためだけではないと、私は思います。むしろ、この一文字はこれから来る新しい一年に繋がっていくものであってほしいのです。
私にとって、一文字を見るだけで連想し豊かな意味を深く読み解けることが非常に不思議で、感慨深く美しいことなのです。
一人ひとりの皆、また家族にとってもそれぞれ過ごされた一年を表す一文字は何でしょう。私個人でしたら「遣」という一文字を選びたいです。「遣」という文字は受け身のイメージが大きいのですが、検索してみると「神聖な存在から使命を与えられて送り出される、という尊い恵みや力が授けられる」つまり特別に選ばれて送り出されるという意味合いだそうですので「送り出す人」の代わりをする、信頼されているという意味が強く感じられます。「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」(ヨハネ20:21)
イエスの弟子は遣わされた者であり、イエスに遣わされた者である私たちもどれほどイエスに信頼され、委ねられているか、という事です。特に、昨年の通常聖年において、私たちは「希望の巡礼者」でした。希望は前進し、また巡礼者は立ち止まるのではなく、何より前を向いてたゆまず行くのです。キリスト者は「遣わされて前を向いていく」という「希望を持って生きる」ことを忘れないでほしい。言い換えると、希望の聖年の行事は終わりましたが、希望の炎は永遠に残り、この希望を生かしながら、更に広めたいと出かけていく、という事が私たちの使命でもあります。そこで、私は「遣」という一文字を選びますが、保土ヶ谷教会共同体の方向性のビジョンとしても「遣わされる」のです。正に、故教皇フランシスコは【福音の喜び】の中で「自己中心的な快適に留まる教会ではなく、傷つき、汚れ、路上に生きる野戦病院のような開かれた教会を求めている」と、教会つまり私たちの使命と将来の方向性に関するビジョンを反映したのです。この一文字を皆さんにも心に留めて頂きたいのです。聖書に目を通していると、この一文字が度々出てきます。特に「父よ、…彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世はあなたが私をお遣わしになった事を信じるようになります。」(ヨハネ17:21)というイエスの切なる祈りを通して、洗礼を受けた恵みを思い起こしながら、教会生活の中で「耳を傾け、対話し、多様性の中での一致を目指す」事が求められている事を心に留めましょう。