コロナ感染症対策への新しい指針についての見解(ご参考)

司教館事務局の保久神父から

【コロナ感染防止への指針】

司教館事務局の保久神父から、以下の情報が参っておりますので参考までにご連絡します。

 

✟主の平和

入梅の候、皆様におかれましてはお元気でお過ごしのことと存じます。さて、小田神父様から下記のようなご意見を頂きましたので、皆様と共有したいと思います。よろしくお願い致します。

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各位

 

5月26日に発行されました厚生労働省『新型コロナウイルス感染症、診療の手引き』改訂版にざっと目を通し、皆様にとって意味があると小田が推測した情報のみ順不同で抜粋紹介します。すでに報道からご存知だとはおもいますが。

 

死後のケア

納棺後は特別な感染対策は必要としない。故人の尊厳に十分に配慮しながら、それぞれの場面で適切な感染対策をすることが重要である。なお、適切に感染対策を行いながら、病室で別れの時間を設けることもできる。

(小田:当初は、遺族などによる通夜、葬儀、火葬、拾骨が否定されていましたが、現在は全く問題視されていません。ただ葬儀社や斎場によっては、いまだに忌避するところもあるようです)

 

濃厚接触者の定義(2020年4月21日改訂)

「患者」の感染可能期間(発症2日前~)に接触した者のうち、次の範囲に該当する者である。

・患者と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があった者

・適切な感染防護なしに診察、看護もしくは介護していた者

・患者の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高い者

・その他:手で触れることのできる距離(目安として1m)で、必要な感染予防策なしで、患者と15分以上の接触があった者

(小田:換気の良い教会で、検温と手指消毒をすました参加者全員がマスクをし、1m以上の間隔で着席できるならば、会衆の参加するミサをしても大丈夫だと思われます。)

 

感染経路

飛沫感染が主体と考えられ、換気の悪い環境では、咳やくしゃみなどがなくても感染すると考えられる。また、ウイルスを含む飛沫などによって汚染された環境表面から接触感染もあると考えられる。有症者が感染伝播の主体であるが、発症前の潜伏期にある感染者を含む無症状病原体保有者からの感染リスクもある。

 

潜伏期・感染可能期間

潜伏期は1~14日間であり、暴露から5日程度で発症することが多い。発症前から感染性があり、発症から間もない時期の感染性が高いことが市中感染の原因となっており、SARSやMERSと異なる特徴である。

なお、血液、尿、便から感染性のあるSARS-CoV-2が検出することはまれである。

 

季節性

COVID-19については、現時点では気候などの影響は明らかでない。

 

食器の取り扱い

患者が使用した食器類は、必ずしも他の患者と分ける必要はなく、中性洗剤による洗浄に加え、80℃ 5分以上の熱水による消毒を行ったあと、よく乾燥させる。

 

以上

2021年6月19日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

宅配業者を装った「不在通知」の偽SMSに注意しましょう

もし、そのようなSMSが来ても、URLにはアクセスしない、ID・パスワードを入力しないように気を付けましょう。

その「不在通知」に記載されているURLに、アクセスしてしまった場合でも、不審なアプリをインストールしたり、ID・パスワード等を入力したりしないようにしましょう。

例えば、不正なアプリをインストールしてしまうと、そのスマホから多数の偽SMSが発信され、その結果、身に覚えのない通信料が発生したり、

偽サイトにアクセスしてID・パスワード等を入力してしまうと、不正な決済をされ、身に覚えのない請求をされたりすることがあります。

詳しくは、国民生活センターや、ドコモ等のホームページを参照ください。

最近、教会の関係者にも此の詐欺メールが届きました。お互いに注意をしましょう。

詳しくお聞きになりたい方は、教会委員会の委員にお尋ねください。

 

2021年6月19日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

新規のお知らせ<教会情報>4

6月度の教会委員会議事録(信徒専用のページに)を載せました。

アダム神父様のコメントも同じく掲示板に載せてありますのでお読みください。

信徒の方でID、パスワードをお忘れになった方は、各班の班長さんに確認下さい。

2021年6月19日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

新規のお知らせ 3

聖堂と信徒会館のトイレについては、照明を自動点灯、自動消灯としました。

この工事に伴い、照明用手元スイッチはとりはずしました。

人の動きを感知して点灯し、3分後に消灯します。(手を触れることなく点灯消灯します)

手洗いの自動水栓化も合わせて工事中です。信徒会館のトイレについては、6日以降の工事になります。

 

2021年6月4日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

新規のお知らせ<教会情報>2

  司祭館内の階段に1階から2階への昇降機を設置いたしました。

  只今、使い勝手を検証中です。上手く使いこなして効果を発揮できますよう。

本体の使用は、どなたでも可能ですが注意事項が

ありますので、取り扱い説明をお聞きになってからお使い下さい。

当面は、神父様専用といたします。

2021年5月11日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

新規のお知らせ<教会情報>

環境についてですが、教会入口の道路沿いのバラが咲きほこっています。

営繕の皆様の日頃の手入れが花咲きました。

2021年5月10日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 保土ヶ谷カトリック教会

復活節第4主日(4月25日)の説教(テキスト)

今日読まれた福音(ヨハネ10-11)にはとても大切なイエスの思いがあります。

「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」とイエスはおっしゃいました。

さてこの「羊」ですが、正直なところ私たちにはあまりなじみがない動物です。私はインド南部ケララ州出身ですが、羊はインドでは北部にいるだけで南部にはいませんでした。その後フィリピンの教会に10年おりましたが、そこでも羊はいませんでした。恐らく暑いところは苦手な動物ではないのでしょうか。羊は強力な牙や歯はもっておらず強いという訳ではありませんが、その強さとして羊飼いの声をよく聞き分けて、それ以外については警戒する、ということがあります。

この羊と同じように、私たちはイエスの声を聴き分ける力を持っています。この力はすでに神様から与えられていて、今日読まれた福音はそれを示しています。「私は良い羊飼い、羊も私を知っている」これは、イエスが父を知っている、つまり御父と御子の関係と一緒であり、深い絆により結ばれていることを意味します。羊である私たち信者は羊飼いイエスと強くつながっているとハッキリ言っているのです。

信仰生活を歩んでいるうちに、信仰に迷いを感じたり、信じることができなくなることがあります。今のコロナ禍のなかで、不当と思われるような試練に直面する時などは、特にそうです。しかしイエスは今日ハッキリと「父が私を知っておられ私が父を知っているように、私はあなたを知っている」と言っておられるのです。私たちが信頼をもって祈るとき、絶対的に保証されている「心の耳」を私たちは与えられているのです。

イエスの声に耳を傾けるという選択をしさえすれば良いのです。私たちの日常には、この声あの声など様々な雑音に満ちていますが、イエスの声に耳を傾け毎日の生活の中にそれを育んでいくのであれば、私たちの心の中に平安が生まれます。神の語りかけを心の中に育むことができるのです。

実際のところ、羊も羊飼いの声を聴き分けられるようになるためには、羊飼いと一緒に長い時間過ごさなければなりません。私たちもそのように毎日の生活の中でイエスの言葉に耳を傾けるように致しましょう。

 

 

2021年4月25日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者

復活の主日(4月4日)の説教(テキスト)

皆さん、イエスのご復活おめでとうございます。

イエスが葬られたお墓が空になったということは、イエスが私たちの心の中に住んでおられて必要な時に現れてくださるということを意味します。

イエスが亡くなった後、イエスを深く愛していたある女性は泣き伏していました。イエスの死により彼女は夜の暗闇の中に一人放り出されたような気持ちになりました。死がすべてを打ち負かしてしまったという思いのまま、彼女はまだ朝の暗いうちから外へ出て、イエスが埋葬された墓へ様子を見に行きました。まだイエスの死を受け入れられなかったのです。しかし彼女が墓に到着すると、墓は空いていて中には何もなかったのです。そのことに驚いた女性、マグダラのマリア、は急いで戻り、弟子たちに「主が取り去られた」と告げたのです。

このマリアが朝早くから墓を見に行ったことに注目してみましょう。マリアはすべての女性の象徴です。イエスが現世に来られた使命のなかで、女性たちの役割はいつも特別なものがありました。聖母マリアをはじめイエスを取り巻く多くの女性たちの特徴は忠実であったということです。これは男性の弟子たちが、あのペトロですらも、意思が弱くイエスを裏切ってしまったことと対照的です。

聖母マリアやマグダラのマリアなど他の女性たちは、イエスが十字架につけられ殺され、墓に埋葬されるまで、決して見捨てませんでした。実際に人類の歴史をみるとこのように女性の方が忠実でした。マグダラのマリアは空っぽのイエスの墓を見て、イエスが復活すると言っていたことを思い出し、復活を現実のこととして実感したのです。空の墓は復活の証であり、奇跡です。マグダラのマリア、イエスを愛しその死を受け入れることができず、朝早く墓の様子を見に来たマグダラのマリアが、この復活の最初の目撃するという恵みをいただいたのです。

人生の中で空虚な気持ちになった時、苦しみの中に放り込まれた時、皆様はどうなさいますか? マグダラのマリアのようにイエスを探し求めますか? 人生の中で、悪い方向に向き始め希望を失いかけた時、それはイエスが皆さまの中にいて神様が現存する証であると思います。

皆様が希望をなくした時、そこには希望はあります。

チャンスがないと感じた時、そこにはチャンスがあります。

不安に思っている時、そこには癒しがあります。

見捨てられていると思った時、そこには愛情をもって抱きしめてくれる誰かがいます。

今のコロナの状態を含めて、私たちが苦しんでいる今、今日の復活の日は希望の日です。

皆様が人生の道を見失ってしまった時は、そこには皆様が進むべき新しい希望の道があります。すべては主が死から復活されたからです。死から復活することで暗闇に打ち勝ち、私たちに新たな人生を与えてくれます。イエスのご復活を心に保ち続けましょう。お墓が空だったように、ここに私たちの胸に、イエスがおられます。このご復活のロウソクはその印です。

 

2021年4月5日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者

受難の主日(3月28日)の説教(テキスト)

今日はイエスのエルサレム入城(マルコ11-1~10)と受難(マルコ15-1~39)という二つの圧倒的なシーンが聖書朗読で読まれました。

ホザンナの声も高らかに、大きな喜びのうちにイエスのエルサレム入城を迎えた人々は、そのわずか6日後には、イエスを十字架にかけろと叫ぶようになるのです。イエスに付き従ってエルサレムに入った弟子たちは人々の態度の豹変に恐れを感じたに違いありません。このイエスの入城から十字架上の死まで、弟子たちが経験したことは、弟子だけが経験したことではありません。世の人々の心は残酷なまでに移ろいやすく、その中で惑う人間の運命の過酷さは、まさに人間世界の特徴ではないでしょうか。神でありながらまさに人間と同じように生きるべく、イエスも人々に見捨てられ、苦悶のうちに死ぬ人生を選んでくださったのです。

このような迫害はあの時代だけではありません。つい先日、3月19日にも、インド中部のカルガ州というところで4人のシスターが地元のインド人に、キリスト教のシスターであるという理由だけで迫害を受けたというニュースがありました。今の時代にも信仰に対する迫害や困難は形を変えて続いています。イエスの捕縛後、弟子たちはイエスを見捨てて逃げました。彼らの信仰は足りませんでしたが、誰がそれを責めることができるでしょうか。私たちの信仰も、弱いものです。

しかし復活の朝、捕まらないように閉じこもって逃げていた弟子たちの前に、よみがえったイエスは姿をあらわします。そして、「あなたがたに平和」と言うだけで、彼らの信仰のふがいなさを決して非難したりはしませんでした。それは、まわりの状況にかかわりなく信仰を貫くことがいかに難しいか、イエスはよくわかっていたからです。イエスご自身の、ゲッセマニでの苦渋に満ちた祈りや、十字架上の「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」という叫びなどがそれを表しています。

イエスのエルサレム入城と十字架上の死によってあらわにされた、人の心と人の世界の移ろいやすさを超えて、神のみ旨によって与えられた自分の生き方を貫いていける、イエスに従う者たちの生き方があります。そのような生き方を支えきる信仰を、十字架の死に打ち勝って復活された主が私たちの中にふりいれてくださるのです。そのような信仰の恵みを願って、主イエスの死と復活の過越しの記念を祝うこの聖週間に、ともに祈り求めていきたいと思います。

2021年3月28日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者

四旬節第5主日(3月21日)の説教(テキスト)

ラジュ・アントニー神父様(戸部教会)の御説教

四旬節も第5主日を迎えています。来週には受難の主日と呼ばれる枝の主日です。

そして過ぎ越しの聖なる3日間の典礼を通して、私たちは復活祭を迎えようとしています。

今日読まれた福音では、「私が地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」というイエスの言葉が記されています。

この言葉は先週読まれた福音の言葉「モーセが蛇をあげられたように、人の子も上げられなけらばならない」と共鳴しています。

イエスが上げられる目的は、「信じる者が人の子によって永遠の命を得るためである」と言われたこととあわせて考えると、これは十字架にあげられたイエスからの私たちへの招きの言葉であると思います。

イエスは十字架上の死の意味を私たちが理解することを望んでいます。十字架にあげられたイエスは、私たちに「これを見よ」と言っています。そして私たちの救いを思い起こさせ、私たちに問いかけています。なぜイエスがあのような苦しみの姿をさらさねばならなかったのか、何がイエスを十字架に上げたのか、と。

イエスを十字架上に上げたものは、私たちに死をもたらすもの、罪であり、わたしたちが罪のすべてを見つめるよう十字架にあがったのです。イスラエルの人だけでなく、今生きる私たちの救いのために、私たちの罪の赦しのために、十字架にあがったのです。

さて、今日読まれた福音のはじめの部分に、素直にイエスと出会うために招き入れたギリシア人たちが出てきます。これらのギリシア人に対してイエスは「人の子が栄光受ける時が来た」と言っています。

このギリシア人は、最初に引き寄せられた異邦人の代表でした。救いはユダヤ人だけでなく、インドや日本などを含めた、すべての人々に与えられることを意味しています。その招きに応えて、私たちも日々私たちの十字架を持って、イエスの道を歩まねばなりません。その十字架の上には神によって与えられる栄光の姿が宿ります。すべての困難に打ち勝つ神の栄光のうちに示される助けを、今日も共に祈り、求めたいと思います。

 

 

 

2021年3月22日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者