今般の甚大な被害に対し、当教会においても募金の受付を開始いたします。
募金のやり方は、聖堂にて、従来の方法にて実施し、横浜教区の方針に従ってカリタスジャパン経由で届けます。
また、今後開始する「四旬節の愛の献金」については別途ご案内いたします。
カリタスジャパンでは、その他の献金も受付中ですので、カリタスジャパンのサイトにてご確認ください。
ご不明点があれば、福祉委員会あるいは財務委員会にお聞きください。
今般の甚大な被害に対し、当教会においても募金の受付を開始いたします。
募金のやり方は、聖堂にて、従来の方法にて実施し、横浜教区の方針に従ってカリタスジャパン経由で届けます。
また、今後開始する「四旬節の愛の献金」については別途ご案内いたします。
カリタスジャパンでは、その他の献金も受付中ですので、カリタスジャパンのサイトにてご確認ください。
ご不明点があれば、福祉委員会あるいは財務委員会にお聞きください。
小教区管理者 アウグスティヌス 水上健次神父
主のご降誕おめでとうございます。クリスマスは世界で一番有名な誰でも知っているイエス・キリストの誕生日です。普段、無宗教を自認する日本人でさえも、クリスマスを迎える待降節になると気持ちがたかぶってきます。街ではボーナスを当て込んだクリスマス商戦が活発になり、経済に活気が出てきます。日本中がお祝いモードに入り、街ゆく人々も明るく笑顔になってくるように感じます。皆さんはどのようにクリスマスを迎え、お祝いをしますか。教会で主の降誕ミサに参列し、共に喜び祝い、家族や友人とご馳走やケーキを食べたり、お互いにプレゼントを交換しあったり、また、普段会えない方から頂いたクリスマスカードを読んだりしてお祝いする方が多いことと思います。争いのある所でさえ、クリスマス休戦協定が引かれ、全世界がキリストの誕生を喜び祝う日、それがクリスマスです。
二千年前、神の子としてお生まれになったイエスは、誰よりも小さい者としてこの世に生を受けられました。イエスは私たち人間の救いのために、罪が無いのに死ぬことが定められていました。そして、罪が無いのにも関わらず、ヨルダン川で洗礼者ヨハネより洗礼を受けられました。それは誰よりもへりくだり、小さな者として生まれ、私たちのために死んでくださる方だからです。また、イエスは全ての人を救うために生まれて来こられる神なのに、それにふさわしい場所が煌(きら)びやかな王宮ではなく、ベツレヘムというダビデの町で、宿を取ることも出来なかったヨセフとマリアによって、粗末な馬小屋の飼葉桶の中で、星明りに照らされながら、ひっそり静かにお生まれになるのです。こんなにも
小さく幼い乳飲み子こそが、私たちが待ち望んでいたメシアなのです。
マリアの子イエスという一人の人間が、神であるということを私たちは信じています。それは全能、永遠の神が人間になられたということです。自分を無にし、与え尽くして死んで行くイエスの生涯において、ご自身を表す神、それは偉大な神です。神ご自身が無限の神でありながら、同時にご自分の被造物になられるという意味は、どれだけ私たち人間を愛しておられるのかということに他なりません。私たちを無条件に愛して下さる神、愛するひとり子を世に送られた神の計り知れない大きさに、私たちには、ただただ感謝しか有りません。
誕生日は幾つになっても嬉しいものです。今年も一つ歳を重ねることが出来ることを両親に感謝する日です。私たちの主イエス・キリストの誕生日は、いつの時代も全世界の人達はイエスがこの世に生まれて来てくださったことを喜び、感謝をする日です。そして神の母聖マリアと聖ヨセフに感謝し、全ての人を救われるイエス・キリストを与えてくださった父である神に感謝をする日なのです。
2022年12月11日、堅信式がおこなわれました。8名の方が堅信の秘跡に与ることができました。
ミサの中で梅村司教様から譬え話で以下の気づきの話がありました。(以下は、一部分だけですが)
ある男の人の家の窓ガラスに、ある時渡り鳥が大量に飛んできて、次から次へとガラス窓にぶつかり、死んでゆくもの怪我をするものがたくさん出始めました。そこで、その男の人は、近くの窓を開放し、ぶつからないようにと、鳥たちを誘導しましたが、どうしても鳥たちは次から次へとガラス窓にぶつかり続けました。その時、その男の人は、あることに気が付きました。
まるで、神様の慈しみに気が付かない私たちにそっくりではないか、と。
神様が、愛をもって示された主への道に気が付かないで、躓き続ける私たちは、その渡り鳥と同じことをしている。その男の人は気がつきました。 (そのような詩を読んだことがあります、と言う文脈のなかでのお話しだったようでしたが、詳しいことはわかりません)
外部の一般の方(他教会の信徒さんを含む)の閲覧に対応するため、また、保土ヶ谷教会の信徒の方へのタイムリーな情報提供を可能にするため、小さな改変にトライしてみました。
その他お気づきの点がありましたら、お問い合わせのページよりお知らせください。
聖堂前の駐車場が満杯になることが増えてきました。
奥の方から詰めて駐車していただけますようお願いいたします。
また、
自動車で来場される方には、車の登録用紙をお配りするようにいたしますので、ご記入の上、駐車場委員会宛にご提出のほどよろしくお願いいたします。
なお、早めの出庫を希望される方は、必ずしもご希望通りにはならない事態も予想されますので、近隣のコインパーキング等の利用をお勧めいたします。
教会前の公道に駐車いたしますと、向かい側の一般のご家庭からの車の出入りに支障を来たし、やむを得ず警察に通報する事態となります。ご注意くださいますよう。
駐車場委員会としては、叡智を集め、多くの方が来場され、ミサに与ることができるよう工夫をいたします。今後とも皆様のご協力をお願いいたします。準備が整いましたら有志による駐車整理係のご奉仕も再開したいと検討しております。
近年、高齢者の操作ミスによる事故が増えていますので、該当する方、心当たりのある方は、くれぐれも安全対策にご留意くださいますようお願いいたします。 駐車場委員会
8 月 15 日の聖母被昇天の祝日は全世界でお祝いをします。
日頃マリア様を大切にしている皆さんは、神の母聖マリアにどのような思いを抱いていますでしょうか。
聖母被昇天とはマリアの特権ではなく、第一人者、さきがけとしてキリスト者全体の繋がりを意味しており、無原罪ということ、それは罪が無いということよりも、恵みに満たされた方であるとの意味合いが込められていること、罪とは神から離れている状態のことであり、その逆であるマリアは恵みに満ち溢れていることを心に留めておきましょう。
カトリック教会のカテキズムでは、罪の無いキリストが生まれるためには、罪の無いマリアから生まれる必要があると説明しています(492 番)。また、聖イレネオは「マリアは従順によって、エバの不従順のもつれが解かれ、エバの不信仰によって縛ったものを、マリアが信仰によって解かれます。マリアとエバは対比され、生ける者の母と呼ばれ、エバによって死が、マリアによっていのちがもたらされた」と語っています。
使徒的勧告『福音の喜び』の中で教皇フランシスコは「粗末な布とあふれるほどの優しさをもって、動物の岩屋をイエスの家へと変えることができるかたです。賛美のうちに喜びに打ち震える、御父のはしためです。わたしたちの生活に葡萄酒が足りなくなることのないよう、つねに気を配る友です。心を剣で刺し貫かれたかた、あらゆる苦しみを理解されるかた」(286 番)であると、マリアをたたえています。
神学院では叙階が近づくと「マリア論」の講義を受けます。カトリックにおけるマリアの教えとしては、第二バチカン公会議教会憲章のマリアに関する第 8 章「キリストと教会の神秘の中の神の母、聖なる処女(おとめ)マリアについて」を理解することに尽きますが、マリア論の講師であった幸田司教様は、最後の講義の中で「『マリアは私たちと一番近いところで祈ってくれている。天に昇って、神と一番近いところで祈ってくれている』ということをこれからの信仰生活の中で大切にしてください。」と強調されました。いつも神への取り次ぎを願うマリアへの感謝の気持ちを忘れないでいたいものです。
恵みに満ちた方
小教区管理者 アウグスティヌス 水上健次神父