四旬節第1主日(2月21日)の説教(テキスト)

今日は四旬節の最初の主日です。

四旬節のはじめに読まれる聖書の箇所はほぼ決まっており、第一主日はイエスが宣教を始める前に、霊に導かれて荒れ野で40日間修行を行ったことが書かれています。この時イエスは神の代理としての使命を確認しています。イエスは何を確認したのか、それが私たちにどのような意味を持つのか。

マルコによる福音書では詳しくは書かれていませんが、ルカやマタイによる福音書に書かれた内容も踏まえて、考えてみたいと思います。

引き続き私は今、5~6世紀に中東の砂漠地帯に隠棲していた初期キリスト教の教父達の著作を読んでおりますが、その中で次のような考え方が目を引きました。それはイエスがサタンから挑まれた三つの誘惑とは、人間が構成されている次の三つの要素に対応するものである、というものです。

① 肉体:他の被造物同様、物理的に存続するために栄養が必要です。パン、つまりは肉体を満足させるものは必ず必要なものですが、人間は必要以上に蓄積する人と、飢える人に分かれてしまいます。すなわち「パンの誘惑」にさらされ、そこに人間の本音が現れます。人は、真に分かち合うことができるか、という命題を常に問われています。

② 魂:人は誰でも人生において成功したいと思い、それは必要なことです。しかし激しい競争の中で、他人を無視したり踏み台にするなどして、自分だけが良ければ良いという生き方では、成功した人生とは思えない気持ちでこの世を去ることになるのです。生まれながら恵まれている人は、人を支配するためではなく、お互いに支えあうことによって霊性を高め、成長することができます。

➂ 霊:肉体と魂だけではなく、人には我々と神をつなぐ何かがあります。この霊の導きによって、人は悪魔との戦いに負けず、より人間らしく生きることができるのです。

食べ物に乏しく自然環境の荒れ野には、また恐ろしい野獣も居ました。そのような中でも、イエスが飢え死にすることも、野獣に襲われることもなかったことは、神に従えば自然の厳しい変化や、けだもののような人からも私たちは害を受けず安全に生きていけることを示しています。3年前に教皇フランシスコが「Laudate Si ラウダテ・シー」という書簡を通じて、自然と人間、人間同士の生き方について、霊的な戦いを続けるよう励まして下さっています。

今日の聖書の後半(マルコ1-15)に「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉があります。これは、イエスが今、生きておられる神の言葉として、「この厳しい状況に置かれている私たちが、他者と自然界との連帯を学び、非人間的な扱いを受けている人々と破壊されている世界を守り立て直すため、神のしもべとして生きるイエスの模範に従って生きましょう」ということを意味しています。

さて、「そう言われても、今は新型コロナのせいで、しばらくの間、何もかも分からなくなってしまった。自分のことすらも。」と思われている方も多いと思います。わたくしは、この危機の時こそ、救いの手を差し伸べられているイエス・キリストの手を握るチャンスと思います。神の言葉に触れ祈ることにより霊性を高めましょう。私たちにとって、この四旬節の務めは大きな恵みです。教皇フランシスコは「祈る、神様とつながる、ということは大きな力になりますので、積極的に参加して下さい」とおっしゃっています。

イタリアに「サン・エジディオ」という平和と共生を考える団体があります。そのリーダーであるエンゾビアンキ氏は、「霊的な活躍を支えてくれる神の言葉は、普通の書物の言葉と全く違います。神の言葉は、人間に贈られる「生きるためのメッセージ」です。神を知り、イエス・キリストと出会うことができます。神の言葉は、生きている命の言葉であり、それ無しにキリストの命を受け入れることはできません」と言っています。

このことを踏まえて、今年の四旬節を上手に過ごすために、二つの提案があります。

1.イエス・キリストの言葉を聴きましょう。

以下の方法で心の門をあけて、聖書を読んでみましょう。

―教会(聖堂の門を開ける:心を静かにし、聖霊の助けを求める。

―口の門を開ける:聖書のみ言葉を声に出して読む。

―沈黙の門:目で言葉を静かに読む。

―好奇心の門:気に入る、心に残る箇所に注目する。

―ハートの門:敏感に感じ入る点について瞑想する。

2.沈黙のうちに祈りましょう。

―神を感じるには、心を静かに受け入れる場所と準備が必要です。

―日常生活の忙しさ、雑音や不要な情報、便利な機械や装置からしばし逃れ、自分自身に戻れる「荒れ野」のような環境を準備しましょう。

―身近にある家族、友人、職場の仲間などを思い起こし、また訪れる春の自然を感じ、すべての源である神と向かい合いましょう。

2021年2月21日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : 保土ケ谷カトリック教会HP管理者