年間第32主日(11月8日)の説教(テキスト)

最初に、七五三おめでとうございます。

子供たちの皆さんは、お家でお祝いをしましたか? 寂しいことにフランスには七五三はありません。

さて、子供のみんなは友達が家に遊びに来るときは何をしますか?

お母さんにケーキを作ってもらったり、部屋をかたづけたり、いっしょに遊ぶゲームの準備をしたりするのでしょう。

イエス様を信じる私たちも同じです。イエス様はいつか再びやってきますので、そのための準備をしなければなりません。

この世の終わりを「終末」と言いますが、その時にイエス・キリストは再びこの世に来られますので、そのために準備をするのです。

今日の福音(マタイ251-13)は、花婿を待つ10人の乙女の話でした。5人は賢く、しっかり準備していたので夜遅く訪れた花婿を迎えることができましたが、ほかの5人はおろかで準備をしていなかったので、灯りをともす油が無くて、迎えることができませんでした。

この「賢い」「おろか」という意味は、決して頭が良いということではなく、神様をしっかり信じて準備をするか、そうでないかという意味です。

優しい皆さんは、準備してきた乙女たちはなぜ油を困っている乙女たちに貸してあげなかったのかと思ったことでしょう。

それは、これはイエス様を迎える心の準備というものは、決して他の人に代わってやってもらえるものではなく、自分がやらなければならないことだからです。ちょうど自分の人生は、自分自身でしか生きることができないことと同じです。

今日の福音のポイントは、私たちキリスト信者が成長するためには、「忠実」(イエス様にしっかり従うこと)と「忍耐」(がまん強くなること)が大切だと言っています。

私たちは疲れて眠ってしまった「おろかな娘たち」と同じように、イエスを待ちくたびれて、休むことしかできない時があります。そのような時にでも、油(信仰:イエス様を信じること)が無ければ、心の灯をともし続けることはできません。夜が訪れても、信仰の油が切れないようにしましょう。

「わたしを遣わしたかたのわざを、わたしたちは日のあるうちに行わなければならない。誰も働くことのできない夜が来る。わたしはこの世にいる間、世の光である」(ヨハネ9-4

誰でもイエス様と出会う時に、心が改まり(回心)、情熱が入ります。しかしその後、長くキリスト信者として歩み続けるためには忍耐が必要とされるのです。

「言葉を聞いて実行する者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に例えられる。」(マタイ7-24

私たちは、「マラナタ、主よ、来てください」と歌います。

主が再び来られるとき、それはいつであるかはわかりませんが、「最後まで、耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ24-13)のです。

 

2020年11月8日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者