「死」から「命」への蘇り
パウロ ハー ミン トゥ神父
待ち望んだ4月、何より今年は丁度桜の満開とご復活の時期がぴったりと合い、あちらこちらで美しい桜の便りが聞かれ、冬を越えた命の成長を強く感じさせられます。まさに木々の復活です。私達は皆それぞれに生活の大変な中にあっても、いつの間にか暖かくなっていて、自然界の営みの不思議さ、桜や周りの木々の美しさに癒されます。
この桜と共に入学・進学・社会人へと新しい人生を迎え、輝かしい希望に胸躍らせている方も大勢いらっしゃると思います。しかし、一方で長引く理不尽な戦争や自然災害など本当に生きることは不安に満ちてもいます。何時、突然、自分の尊い命の営みが切れてしまうかもしれない状況を思いますと、留まることを知らないかのような科学の進歩の中に死の文化が潜んでいるようです。聖ヨハネパウロ2世は「人間の命を大切にしない社会はすでに死の文化に戸を開け放っている」と言われました。まさに生きている有り難さの中に在りながら、逆に恐怖が増しているのです。
私達は、現実に部分的には世界第三次世界大戦の様相を呈していると言われる世界の状況・戦争や経済の理由で移住する人々への無関心・ミャンマーやタイやカンボジアなどでの大規模な特殊詐欺を通して起こった人間の不信感・更に「平気で命を断つことは殺し屋を雇うこと」という前教皇フランシスコの言葉を通して、堕胎増加などの命の軽視はまさに「死の文化」に支配されて、しかも、これらがグローバル化で広がって、まさに世界は暗闇に覆われ、人々は暗闇のトンネルの中で行き詰まっているのです。だからこそ私達は、復活されたイエスの力に癒されて、その光に照らされながら、私達もこの心の暗闇を追い出さなければならないのです。私達が癒されたのはイエスが傷を付けられ、十字架上で亡くなられたからです。私達にとって、主イエスは大きな希望であり、豊かな慰めです。神の子イエスは十字架上で尊い血を流して人間のために償い、命を取り戻してくださるからです。復活されたイエスからの光は私達を希望へと導き、永遠の命を生き続けることが出来ます。
教会は自然と社会と共に新たな気持ちで、また、様々な困難を克服して迎えられた、この復活節を心から祝いましょう。復活は、ただ死から甦らされる、という考えに限らず、生きにくい、生き詰まってしまっている、という中でもう一度、希望を持って前進して生きる、信仰のうちに生きることです。また愛することが困難な中でも「互いに足を洗い合わなければなりません」(ヨハネ13:14)というイエスの命令を身を以て実行していくことができるようになれば、私達はいわば、毎日復活させて頂くのです。更に、周りの人々と共に「信・望・愛」を持って生きることによって、社会をも復活させることが出来るのです。
命の文化を大切にし、復活して希望を取り戻し、信仰を強め、熱心に愛に生きるのです。神の子イエスの死を通してもたらされる新しい命を確信して生きましょう。
主のご復活のお慶びを申し上げます。おめでとうございます。