四旬節第3主日(3月7日)の説教(テキスト)

先週に引き続き、旧約聖書を今もう一度見直し、現代の私たちへの神からのメッセージを探っていきたいと思います。

四旬節に入ってからは、自然災害から私たちを救う神(ノアの箱舟の故事)や、人ひとりの命の尊厳を守る神(アブラハムの息子イサクの生贄を止める故事)の姿が話されてきました。

今日の第一朗読では、モーゼが神の前に立って、立法を受け入れたシーンが描かれています。モーゼが率いるユダヤの民はこの律法を受け入れ、困難を乗り越えながら、神の民として生きてきました。

神はヘブライ人たちをエジプトでの奴隷状態から解放させ、そしてその後一人ひとりが自分のてで立ち上がれるよう、砂漠での40年間の体験が与えられました。その体験とは、「神と自分」および「自分と他者・自然」が共に生きるための基本法を学ぶということでした。それを神から学ぶことにより、神と結ばれることができるという契約でした。この契約の基本は、一人ひとりが、それまで囚われていたもの、端的には自己中心的な弱肉強食から解放されるということです。今日読まれた旧約聖書(出エジプト20・1~17)のとおり、10の掟がシナイ山にて示されました。問題はユダヤ人たちはそれを実生活に当てはめるよう解釈を続け、613もの細かい律法ができあがってしまい、細かい律法を守ることが何よりも重要とされてしまったことです。この結果、神殿の前では、このような人間が作った613の律法に適合すべく、正しい貨幣に交換する両替商、正しい生贄を売りつける業者がひしめき、商人や神官たちが、貧しい敬虔な信徒からお金を巻き上げていました。今日読まれた福音(ヨハネ2-13)では、イエス・キリストはこのような状況に憤慨した光景が描かれています。

イエス・キリストは論争をしながら、表面的な律法遵守に堕した信仰を正し、使徒行録2-42に次のように示されているような信仰共同体の中で生きることを求めています。

  1. 使徒の教え
  2. 共同生活の支えあい
  3. パンの分かち合い
  4. 祈り

このイエスの教えを受けて、ヨーロッパの政治・経済状況から、7世紀までエジプトからシリアまでの砂漠地帯で隠遁生活をしていた初期キリスト教の教父達は、Lectio Divinaという方法でキリスト教の活力を生かしていました。その方法とは、Lectio (読むこと)、Meditatio (瞑想すること)、Oratio (祈ること)、Contemplatio (熟考すること)からなっていました。これらの教父たちの教え、例えば四旬節第一主日にお話ししたような、「人間とは、物理的な存在を維持する“肉体”、感情を司る“魂”、そして人間以外のなにかと繋ぐ“霊”からなる」といった考えは、19,20世紀の心理学や精神医学など人間科学研究を先取りした部分が多々あるのです。

神から与えられる「解放」を理解し知る、そのためにもこの四旬節の中で、偽善や人を見下した憐れみではなく、私たちがどんな他者でも同じ人間として連帯し尊重できているか、今一度見つめ直しましょう。

2021年3月7日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者