【黎明期】

保土ヶ谷教会は、昭和13年(1938年)7月、フランスのパリ外国宣教会の宣教師たちにより建設されました。当時の日本のカトリックは、前年に東京教区に初の日本人大司教(土井辰雄大司教)が任命されるなど、日本人信徒が著しく増加しており、あらたに横浜教区が東京教区より分離され、それまで東京を担当していたパリ外国宣教会が、この新設横浜教区を育てていくこととなりました。増加する横浜地域の信徒に対応して、まず保土ヶ谷の地に教会を建てることが決定され、フランス・グビナン出身のシェレル神父が初代司祭に任命されました。シュレル神父は明治24年(1892年)に宣教師として来日、すでに神田教会・白百合学園(東京)の建設や大震災からの復興などで大きな功績がある老神父でした。台風による建設地の地すべりなど教会建設にあたって多々の障害はありましたが、神父は情熱を持って建設を続け、私財のすべてを投じさらに神田教会の信徒からの寄付、母国フランスからの協力など尊い浄財に支えられて、鐘楼のないロマネスク様式の聖堂がぶどう畑が続く保土ヶ谷・霞台の地に完成したのです。

 

2020年3月3日 | カテゴリー : 沿革 | 投稿者 : 保土ケ谷カトリック教会HP管理者