小教区管理者 アウグスティヌス 水上健次神父
主のご降誕おめでとうございます。クリスマスは世界で一番有名な誰でも知っているイエス・キリストの誕生日です。普段、無宗教を自認する日本人でさえも、クリスマスを迎える待降節になると気持ちがたかぶってきます。街ではボーナスを当て込んだクリスマス商戦が活発になり、経済に活気が出てきます。日本中がお祝いモードに入り、街ゆく人々も明るく笑顔になってくるように感じます。皆さんはどのようにクリスマスを迎え、お祝いをしますか。教会で主の降誕ミサに参列し、共に喜び祝い、家族や友人とご馳走やケーキを食べたり、お互いにプレゼントを交換しあったり、また、普段会えない方から頂いたクリスマスカードを読んだりしてお祝いする方が多いことと思います。争いのある所でさえ、クリスマス休戦協定が引かれ、全世界がキリストの誕生を喜び祝う日、それがクリスマスです。
二千年前、神の子としてお生まれになったイエスは、誰よりも小さい者としてこの世に生を受けられました。イエスは私たち人間の救いのために、罪が無いのに死ぬことが定められていました。そして、罪が無いのにも関わらず、ヨルダン川で洗礼者ヨハネより洗礼を受けられました。それは誰よりもへりくだり、小さな者として生まれ、私たちのために死んでくださる方だからです。また、イエスは全ての人を救うために生まれて来こられる神なのに、それにふさわしい場所が煌(きら)びやかな王宮ではなく、ベツレヘムというダビデの町で、宿を取ることも出来なかったヨセフとマリアによって、粗末な馬小屋の飼葉桶の中で、星明りに照らされながら、ひっそり静かにお生まれになるのです。こんなにも
小さく幼い乳飲み子こそが、私たちが待ち望んでいたメシアなのです。
マリアの子イエスという一人の人間が、神であるということを私たちは信じています。それは全能、永遠の神が人間になられたということです。自分を無にし、与え尽くして死んで行くイエスの生涯において、ご自身を表す神、それは偉大な神です。神ご自身が無限の神でありながら、同時にご自分の被造物になられるという意味は、どれだけ私たち人間を愛しておられるのかということに他なりません。私たちを無条件に愛して下さる神、愛するひとり子を世に送られた神の計り知れない大きさに、私たちには、ただただ感謝しか有りません。
誕生日は幾つになっても嬉しいものです。今年も一つ歳を重ねることが出来ることを両親に感謝する日です。私たちの主イエス・キリストの誕生日は、いつの時代も全世界の人達はイエスがこの世に生まれて来てくださったことを喜び、感謝をする日です。そして神の母聖マリアと聖ヨセフに感謝し、全ての人を救われるイエス・キリストを与えてくださった父である神に感謝をする日なのです。