もうすぐ四旬節がはじまり、そして復活祭という季節です。コロナにより昨年出来なかったことが、今年はできるでしょうか。
長い試練が、私たちをはじめ世界中の人たちに課せられています。
今日は、第一朗読で読まれた、神から与えられた試練に苦しみ抜いた義人ヨブを見て、人間と神のかかわり方を見てみましょう。ヨブ記に書かれていることは、パンデミックによって、何も悪いことをしていないのに、多くの人が苦しむ、現在の私たちと似ているところがあるからです。
ヨブ記そのものは、創作された作り話であることをご存じの方も多いと思います。ヨブという人物は存在しませんでした。しかし、人類にとってはヨブ記が書かれた3,000年前も、今も悪との戦いは、変わらない大きな課題です。
ヨブは、神を敬虔に敬う非の打ちどころのない高潔な人物で、社会的にも家族にも恵まれ、多くの人に尊敬されていました。その彼が、彼自身何も落ち度が無いのにもかかわらず、大きな不幸に見舞われます。財産も家族も失い、不治の病に倒れ、友人すらも去ってしまいます。神が不正義をするはずが無いので、このような大きな不幸に遭うのは、ヨブが何か誰も知らないところで大きな罪を犯したのではないかと友人に疑われ、妻にまで神を呪って死ぬ方がましと言われるのです。
ヨブは神に反抗する代わりに、「なぜ、罪のないものが、いつまでも苦しまなければならないのか」と問い続けます。ヨブ記では、神に向かって、問いかけを続けるヨブの姿が描かれています。
「神はなぜ答えてくれないのですか」
「神は耳が遠いのでしょうか」
「神は、不正を喜ぶ者なのでしょうか」
ヨブは自分が無罪であることを訴え続け、考え続けながら、ようやく次の3点に気が付くのです。
1 神は悪の原因でも、解決でもありません。
神自身も悪に苦しめられ、悪との戦いに力を入れるのです。ヨブも悪との戦いに神が擁護してくれることに気づきます。
2 神と対話を続けながら、神がすべてを無償で与えてくれることに、気が付きます。
3 全能といわれている神が、実に弱いものです。創造された世界は完璧なものではなく、完成するよう人間にお任せになりました。人間にも自由を与え、決断できるよう育ててきました。
神は一体何をお望みになるのでしょうか。それは、世界が法と正義の支配下にあるように望まれておられます。しかしそれは神が造られた世界の法則です。
ヨブはこれらに気がついたことにより、再び神に希望をおきます。そして葛藤を乗り越えて、愛する神を再び信頼するようになり、幸せを取り戻す、という内容です。
さて、ヨブとイエスの運命の間に大きな共通点があります。正しい人であるイエスが疑わられたり、排除されたり、最後には死刑を宣告される、といったような点です。イエスもゲッセマネの園で、苦しまれながら、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように(マルコ14-32)」とあるように、苦しみながらおん父を信頼し続けるよう努力しています。
フランスの作家であり駐日大使でもあった(1921-1927)ポール・クローデルは、「イエス・キリストは苦しみをなくすためではなく、私たちと共に苦しむためにこの世に来ました」と言っています。
私たちも世界中で苦しめられている人々と共に生き、悪と戦い、神に信頼を置きましょう。