四旬節第4主日(3月14日)の説教(テキスト)

ラジュ・アントニー神父様(戸部教会)の御説教

 

神は「ひとり子」をお与えになったほど、この世を愛された

モーセが荒れ野で蛇をあげられたように、「神のひとり子」の意味は何でしょうか。

この意味を理解するために、2月に戸部教会でおこなわれた黙想会にて、サレジオ会のコンブリ神父様が話されたことをご紹介します。彼はヨハネ福音書をから「言葉は肉となって私たちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。私たちはその栄光を見た。」を引用しました。イエス・キリストは神の人間への愛を表明する言葉として、肉体となってこの世に現れた「神のひとり子」と言ったのです。

神はそのひとり子をお与えになったほど、人間を愛してくださいました。今日読まれた福音のはじめでは、「モーセが荒れ野で蛇をあげたように、人の子もあげられなければならない」とありました。これは旧約(民数記21章)でモーセが荒れ野で毒蛇に苦しむ民を救った故事に基づいています。モーセは青銅で蛇の像を作り高く掲げると、噛まれて苦しむ人々はそれを仰ぎ見るだけで回復したのです。イエス自身も十字架上にあげられなければならない、そのために神ご自身が愛するひとり子をこの世に送って下さったのです。それほど、神は私たち人間を愛して下さり、イエスご自身の死によりそれは全うされたのです。

今日、洗礼志願式に臨まれる方々、そして私たちキリストを信じる者すべては、この十字架上のイエスを仰ぎ見て、信じるのです。そしてイエスの死によってもたらされた、神のひとり子の永遠の命をいただくことができるのです。

間もなく聖週間が始まりますが、このような私たちの信仰がより私たちの中に浸透していきますように。

2021年3月16日 | カテゴリー : 説教 | 投稿者 : HP編集者