戦後の復興期を経て、第三代司祭日野久義神父(在任:昭和26年~昭和44年) より日本人司祭が司牧する教会となりました。 世相が落ち着くにつれ、保土ヶ谷地区は京浜地区の住宅地として急速に人口が増えていき、 これに比例する形で当教会の信徒数も増加していきました。 終戦後100人程度であった信徒数は60年代半ばには300人を超え、 毎年20名を超える人が洗礼を受けるようになっていきました。 近隣の月見台には、昭和28年(1953年)にスペインのエスコラピアス修道女会が 「セントメリー幼稚園」を開園し、以来当教会と歩みを共にしています。 第六代司祭松村英顕神父(在任:昭和51年~昭和61年)の時代には信徒数はさらに増加し、 600人を超えるようになりました。 また昭和60年(1985年)には教会内にガールスカウト神奈川県第22団が設立されています。