【試練の時代】

時代は軍国主義から第二次世界大戦へ突入し、保土ヶ谷教会も試練の時を迎えることとなりました。 戦争の激化に伴い、外国人宣教師は転地・抑留を余儀なくされ、山手司教座教会も 日本軍の宿舎として使用されるようになりました。そのため保土ヶ谷教会はこの期間 司教館として使用されました。しかし横浜教区長ラウレンス戸田帯刀神父は、終戦の 3日後終戦の混乱の中、当司祭館にて凶弾に倒れています。

 戸田教区長が保土谷教会へと移動された経緯や、亡くなられた当時の状況等は、元毎日新聞記者の佐々木宏人著「封印された殉教」(上下)にて見ることができます。戦時中、カトリック教会神父への拷問や迫害があったことなど、忘れてはいけないことであると、第11代主任バリー・ケンズ神父金祝50周年時に戸田教区長記念碑が建てられました。今も、聖堂入り口階段の右手におかれています。この時代の気骨ある神父様方の強い信仰は現在のカトリック教会にも受け継がれていると言えます。

2020年3月3日 | カテゴリー : 沿革 | 投稿者 : 保土ケ谷カトリック教会HP管理者